本を読むという体験について。 | 「ひと」と「ひと」の間を考える。『rooftop』〜コミュニケーションとコミュニティ〜

2016/07/13

本を読むという体験について。

[日々の想い]

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本を読んでから、その映画化作品を見ると、少し残念な気分になる、ということがよくある。

登場人物のイメージが違っていたり、ストーリーの展開が理解しにくかったり、色々な理由があると思う。

僕の場合は、お気に入りの場面が映像化されていない、という理由で残念な気分になることが多い。

もちろん、本を映画化するときは、約二時間という時間的な制限や、制作費という経済的な制約もある。

そもそも、本の読者の多種多様なイメージの世界を、たった一つの映像によって表現し、観客を満足させるのはとても難しいと思われる。

ちなみに、僕は映画が大好きだし、本も映画も面白い、という作品もたくさんあるので、映画を否定するつもりは全くない。

また、本と映画は全くの別物だ、と言い切ってしまうこともできる。

ただ、本を読んだ後で映画化作品を見たときの「がっかり感」が気になったので、それをきっかけにして、本を読むという体験について考えてみようと思った。

さて、「がっかり感」を感じる理由をもう少し考えてみると、先に書いた理由の他、本そのものがもつチカラが関係しているのではないかと思えてくる。

別のブログでも書いたかもしれないけれど、本は知識を与えてくれたり、物語を楽しませてくれたりするだけではなく、もっと色々なチカラをもっている、と僕は思っている。

例えば、図書館や本屋などの本のある空間は、静かであることが多い。

これは社会的なモラルによるだけではなく、本のチカラによるところが大きいのではないか、と僕は思っている。

これといった根拠はないのだけれど、以前からそう思っている。

そんな本のチカラを感じながら、また、文字や紙の集まりである本を持ったときの感覚も含めて、僕たちは読書を楽しんでいるのではないか。

本を読むという体験は、実はとても奥が深いかもしれないね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます☆

本と読書のチカラを発掘中。

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