オーケストラの指揮者のように。 | 「ひと」と「ひと」の間を考える。『rooftop』〜コミュニケーションとコミュニティ〜

2016/07/15

オーケストラの指揮者のように。

[日々の想い]

音符

「俺たちの仕事はオーケストラの指揮者のようだ」

あるマンションの工事現場の所長が言っていた。

雑然とした現場事務所の中、奥の方にある小さな台所に置かれたテーブルで、焼酎を飲みながらだ。

某ゼネコンの設計部に所属していた僕は、工場設計チームからマンション設計チームに異動したばかりで、マンションの設計手法や、関連法規や、デベロッパーとの関係づくりや、マンション設計チームの人間関係を把握していきながら、先輩のサポート的な業務をこなしていた。

その日は、設計図の変更箇所を伝えるために現場事務所に赴いたのだけれど、すぐに伝達は終わり、すでに定時を過ぎていたこともあり、ちょっと一杯飲んで行けよ、となった。

「コンクリートを打つ職人、壁紙を貼る職人、照明を取り付ける職人、仮設足場を組む職人、様々な職人たちの奏でる音色が重なって、一つのきれいな音楽となるように指揮するのが、俺たち工事監督の役目だ」

夏は暑く、冬は寒く、工期には追われるし、僕たちは途中で設計図を変更する。

そんな苦労の多い現場監督の仕事を、もちろんオーケストラも苦労は多いだろうけれど、世界観が全く違う仕事に例えた所長の話は、今でも印象に残っている。

所長の例えにのっかって、僕も自分の仕事を例えてみた。

「ということは、僕たち設計者は、五線譜を書いているような感じですね」

作曲というほど芸術性のある仕事とは感じられなかったし、0から1を生み出している感覚もなかったので、僕は、自分の仕事を「作曲の一部」と表現してみた。

実際、設計図をつくるときは、僕たち設計部の人間だけではなく、工事費を割り出す部署や、デベロッパーの設計部や、ときにはコンサルタント会社など、様々な部署が関わるので、やはり、「作曲の一部」を担当していると表現するのがしっくりとくる。

その後も一時間くらい、所長から、現場の苦労であるとか、会社の未来であるとか、若手社員への激励であるとか、お説教であるとか、色々な話を伺った。

そして数年後、僕は所長の話を思い出し、自分も指揮者であることに気がつく。

僕たち設計者は、デベロッパーと打ち合わせをしたり、構造的な調整や設備的な調整をしたり、工事費と設計内容の折り合いをつけたり、工事が設計図通り進んでいくかを監理したりする。

「作曲の一部」を担当していると同時に、指揮もしているのだ。

自分も指揮者であるという感覚は、とても大切だと思っている。一部であり、全部であり、当事者である。

おそらく設計という仕事以外でも、この感覚は大切にしていくべきだと思っている。

ちなみに、この話をしてくれた現場所長は、その後しばらくして、お金関係の問題を起こしてクビになった。

とても残念ではあるけれど、この結末が、所長の言葉をさらに印象的なものとしてくれている。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます☆

僕は、僕の、指揮者でもある。

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