方向音痴について。 | 「ひと」と「ひと」の間を考える。『rooftop』〜コミュニケーションとコミュニティ〜

2016/08/08

方向音痴について。

[日々の想い]

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僕はかなりの方向音痴で、目的地にたどり着くことや、道を覚えることがとても苦手です。

今は、どこに行ってもスマホの地図を見ることができるので、迷うことは少ないけれど、スマホがなかった頃は、気付いたら逆方向に歩いていた、なんてこともよくありました。

少しでも方向音痴を改善したいと思い、地図と照らし合わせて東西南北を意識してみたり、色々な場所へ出かけて道を覚えようとしてみたりしましたが、一向に改善されません。

そもそも、そういうことで改善されるのかはわかりませんが。

今でも、家の中にいるときに駅の方向はどちらか聞かれると、いつも使っている駅だとしても、よくわかりません。

以前、『話を聞かない男、地図が読めない女』という本がありましたが、僕の場合はまったく逆で、地図を読むことより話を聞くことの方が好きだし、得意です。

ただ、最近は、方向音痴も自分の個性として、これからも付き合っていこうかな、という気になってきています。

でも、この「方向音痴」ということばについては、少し疑問が残ります。

「音」は関係ないよな、と思うわけです。

音感がにぶいのが「音痴」なわけだから、方向がわからないのは「方向痴」ではないのでしょうか。

「味音痴」は「味痴」で、「運動音痴」は「運動痴」ではないのでしょうか。

これについて少し調べてみると、「音痴」ということばには、音感がにぶいという意味だけでなく、特定の感覚がにぶいという意味もあるようです。

つまり、「音痴」ということばが先にあって、その後、「方向音痴」や「味音痴」ということばができた、ということになりそうです。

これも不思議な感じがします。「音痴」は、「方向音痴」よりも早い段階で認識されていたのでしょうか。

順番が逆だったら、「方向痴」と「音方向痴」になっていたのでしょうか。

ことばの成り立ちは、不思議が多くて面白いなと思います。

さて、色々考えてみましたが、この文章にも目的地はなく、そろそろ道に迷いそうなので、この辺にしておきます。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます☆

現在地表示は矢印付きでないと向いている方向がわからない。

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