働きたくない。 | 「ひと」と「ひと」の間を考える。『rooftop』〜コミュニケーションとコミュニティ〜

2017/01/11

働きたくない。

[日々の想い]

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働きたくない。

できれば宝くじでも当てて、仕事をせずに、遊んで暮らしたい。

好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、好きな音楽を聴き、好きな映画を見て、好きなものを食べて暮らしたい。

好きな場所に住んで、色々なところに旅行に行き、たまにはともだちと会って、お酒を飲んで暮らしたい。

何度もそんなことを考えてきたし、今でもそう思う。

 

一方で、矛盾するようだけれど、働きたい。

おもしろいものをつくりたい。なかったものを生み出したい。

趣味としてではなく、仕事として、そこにお金が発生する場所で、それをしたい。

できれば評価されたい。すごいと言われたい。おもしろいと思われたい。モテたい。お金を稼ぎたい。

そうなるように生きているつもりである。

 

働きたくて、働きたくない。

働かないために、働いている。

働くために、働かないでいる。

そんな矛盾する色々な想いをよくばって全て実現して、人生全体として自由に楽しく暮らすために、仕事や遊びについて、僕がしていることや考えていることを書いてみようと思います。

【目次】
自由に好きなことをするためには。
会社で楽しく仕事をするためには。
たかだかコピー取りを全力でやる。
「ない」ことを証明することは果てしなく難しい。
嫌いな人には近づいてしまう。
個人で楽しく仕事をするためには。
働くために、働かない。
僕を支えてきたものもの。
子供の頃は働きたかった。
辞めてしまっても良い。
働くとは、「はた」を「らく」にすること。
結局のところ働きたい。

自由に好きなことをするためには。

今、働いていますか?

これから働く予定でしょうか?

働けないでいますか?

働くことを楽しんでいますか?

つまらなく感じますか?

苦しいと感じますか?

早く働きたいと思っていますか?

できれば働きたくないと思っていますか?

働かなければ、と思っていますか?

働かなくてもいいや、と思っていますか?

 

僕の現状は、半分働いていて、半分働いていない、という状態です。

半分は企業に属していて、半分は個人事業主。

その全体として、僕が成り立っています。

生活全体として、自由に好きなことをして楽しく暮らしています。

でも、自由なことばかり、好きなことばかり、楽しいことばかりかというと、そうではありません。

不自由なことや嫌なこともたくさんあります。

好きなことをするためには、不自由さを受け入れたり、嫌なことをたくさんしなければならないのだと思っています。

面倒くさい作業をこなし、面倒くさい人とも付き合い、さらにやったことへの批判も受ける。

会社の中で働くにしても、個人で仕事をするにしても、それらを経て、ようやく自由に好きなことができるのだと思っています。

また、一般的な考え方とは少し違うようなことをするときは、社会の流れに逆らうことになるので、摩擦が起きるのはしかたのないことです。

もちろん、おもしろがってくれる人、評価してくれる人、サポートしてくれる人もたくさんいます。

そちらにも目を向けることはとても大切だと思っています。

会社で楽しく仕事をするためには。

会社で働くのは不自由で、個人で働くのは自由。

会社は楽しくなくて、個人は楽しい。

そんなイメージがあるかもしれないけれど、個人で働くのにもかなり不自由はあるし、逆に、会社でも楽しく仕事をすることはできます。

僕は七年間、中堅ゼネコンにて建築設計の仕事をしていました。

面倒くさい仕事もたくさんあったし、嫌いな人もいましたが、楽しい仕事もあったし、やりたい仕事もできたし、良い人にもたくさん出会いました。

僕がいた会社は、あまり良い環境とはいえないところでした。

サービス残業は多く、部署同士の仲は悪く、社員のサポート体制は整っておらず、鬱などで休職や退職する人も多い状態でした。

最終的には僕も辞めることにしたわけですが、悪い環境からは学ぶことも多いし、そんな環境でも楽しい仕事や好きな仕事をすることはできました。

楽しくないことや不自由なことがあるのは、どんな会社で仕事をするにしても、個人で仕事をするにしても、きっと同じです。

楽しいことややりたいことを自由にやるためには、まずは、その「楽しくないことを全力でやること」が大切だと思っています。

たかだかコピー取りを全力でやる。

コピー取りやお茶汲みは、雑用の代名詞のように使われます。

楽しくないことの代表選手かもしれません。

でも、そのコピーされた資料がなければ会議をすることはできないので、実は、コピー取りは大切な仕事の一つです。

こんなことは自分じゃなくても誰だってできる、と思うかもしれません。

その通り。

でも、誰だってできる、というのは組織として大切なことでもあります。

特定の誰かしかできなくて、その誰かがいなくなったら仕事が止まってしまうようでは、組織は成り立たない。

だから、コピー取りに限らず、誰でもできる状態であることは、組織としては必要なことでもあります。

そして、誰でもできる仕事は大切ではない、なんてことはありません。

 

少し話がずれましたが、このコピー取りのような仕事を全力でやってみる。

僕は以前の会社で、会議のある日は毎回、上司より30分早く会社に来て、資料をコピーし、会議室の机と椅子をキレイにセッティングし、資料とお茶を並べていました。

お客様を含め、みんなが気持ちよく話合いをする場をつくることも、仕事だと思っていました。

そんなことを続けているうちに、会議の取り仕切りをさせてもらえるようになったり、一つの物件を任せてもらえるようになっていきました。

それ以降も、飲み会の幹事や、面倒くさいと思われがちなことを積極的にやっていきました。

面倒くさいし、ある意味、不自由だけれど、その分、好きな仕事ができるチャンスや、自由は増えていきました。

「あいつに任せておけば大丈夫だろう」と思ってもらえるので、色々な仕事をさせてもらえるし、随時報告しておけば、あまり干渉もされなくなります。

少しサボってカフェでお茶したり、打合せの開始時間を少し遅めの時間に設定したり、朝ゆっくり起きて打合せ場所へ直行したり。

決してサボることを推奨しているわけではなく、面倒くさいことや不自由を受け入れるほど自由に動けるようになる、ということが言いたいわけです。

「ない」ことを証明することは果てしなく難しい。

「あいつに任せておけば大丈夫だろう」と思ってもらえることで、干渉されなくなり自由が増える、と前述しましたが、これはなかなか難しい。

少し話がずれますが、「ある」ことは証明しやすい。

例えば、目の前にある机に傷が「ある」ことを証明しようとするなら、傷を見つけてしまえば良い。

でも逆に、仮に傷が「ない」としても、本当に「ない」ことを証明するのは果てしなく難しい。

机の上には傷はないか?

板の裏側はどうか?

机の脚はどうか?

肉眼では見えないような傷はないか?

この机には傷がないとしても、同じ製品はすべて問題ないかというと、なかなかそう言い切れない。

 

机の傷と同様に、自分は大丈夫だ、問題が「ない」と証明することは果てしなく難しい。

コピーはしっかりと取ります、遅刻もしません、というように、コツコツと大丈夫さを示していくしかない、と僕は思っています。

ただし、コツコツとやっていくのは僕が選んでいるやり方にすぎず、周りの人を見てみると、おそらく色々な証明のやり方があることに気付くと思います。

どんな証明方法でも良いと思います。

でも、「ある」ことは簡単に証明されてしまう場合もある反面、「ない」ことを証明することは果てしなく難しい、ということを知っておくことは大切だと思っています。

嫌いな人には近づいてしまう。

面倒くさいことや不自由を受け入れるほど自由に動けるようになる、と前述しましたが、人についても同じようなことがいえると思います。

つまり、面倒くさい人や嫌いな人は、避けるよりも近づいてしまった方が良い関係がつくれたり、楽しく自由に仕事ができたり、結果として離れられる場合もある、ということです。

(参考:苦手な人との接し方

人と関わりたくない、一人でいるのが一番、と思うかもしれません。

でも、面倒くさい人や嫌いな人は、避ければ避けるほど、まとわりついてくるように感じるものです。

また、実は、一人でいるためには、みんなでいるよりも、人と接することが必要なのではないか、と思います。

一人でいるためには、みんなでいることを大切に。

みんなでいるためには、一人でいることを大切に。

僕はそう思っています。

個人で楽しく仕事をするためには。

ここまで、主に会社での仕事について書いてみましたが、個人での仕事についても書いてみます。

僕は、個人でシェアハウスを運営しています。

個人なので、自由にコンセプトを決めることができるし、自分のペースで進めることもできます。

やりがいもあるし、達成感も得られます。

でも、会社に所属していればやらなくても良いような、確定申告などの面倒くさい作業も自分でやる必要があります。

(もちろん外部に頼むこともできますがお金がかかるし、それを管理するのも結局自分です。)

また、何でも自由にできるかというと、むしろ不自由も多く、個人は会社と比べて信用力が低いので、取引や契約上、相手にしてもらえないこともあります。

僕の場合は、自分で全てを決めていきたい、というわがままな性格なので、個人で仕事をすることを選択していますが、当然、それが全てではありません。

会社にいる方が自由で楽しいと感じる人もたくさんいます。

何を大切にするかは人それぞれ違うので、自分に合った働き方を見つけることが大切だと思います。

働くために、働かない。

会社で働くにしても個人で働くにしても、どんなに働くのが好きな人でも、働き続けることはできません。

睡眠も必要だし、ご飯を食べたりトイレに行くことも避けられません。

また、どんなにストイックな人でも、遊ぶ時間や息抜きの時間がなければ、苦しくなってしまうでしょう。

実は、働くのが好きな人は、働かない時間も大切にしています。

働くことだけではなく、遊ぶことも全力でやっています。

仕事から離れてリフレッシュすることで、効率的に、そして精力的に仕事をすることができるし、離れてみることで見えてくることもあります。

休むことは頑張る一部。

働くためには、働かないことも大切です。

僕を支えてきたものもの。

僕は、色々なものや人や音楽や映画に支えられてきました。

働くようになってからだけではなく、小さな頃から支えてくれているものもあります。

元気をくれたもの、やる気を出させてくれたもの、どこにも居場所がないと感じるときに救ってくれたもの。

色々な意味で、僕を支えてくれたものを書いてみました。

(参考:僕を支えてくれた50のものもの。

子供の頃は働きたかった。

冒頭で書いた通り、できることなら働きたくない。

でも、子供の頃は、今よりもっと働きたいと思っていなかっただろうか。

僕たちは生まれた瞬間から、必死に言葉を覚えて話そうとしたり、立ち上がって歩こうとしたり、もう少し大きくなると、親のお手伝いをしようとしたりしていたはずです。

勉強や仕事が嫌いという話はよく聞くけれど、僕たちは本来、勉強したくて、働きたい生き物なのかもしれません。

(参考:マズローの欲求階層理論

それなのに、学ぶことや働くことに対する「好き」な気持ちは、いつの頃からか、「嫌い」な気持ちに変わってしまうことも多い気がします。

そこには、親、先生、友人、上司、学校や会社の環境、自分自身など、色々な要因が絡み合っているように思います。

自分は怠けものでダメな人間だ、と思うこともあるかもしれないけれど、怠けたい気持ちは誰にでもあるものです。

まずは、勉強したい、働きたい、という気持ちがあることを信じてみること。

そう思うと、何かやれることが見つかるかもしれません。

辞めてしまっても良い。

ここまで、楽しく仕事をするためには何が大切か、僕が思うところを書いてみたけれど、仕事を辞めるという決断が必要な場合もある。

頑張れば報われることもあるし、苦しんだ経験は自分の財産にもなる。いつか誰かを助けてあげられるかもしれない。

でも、頑張っても報われないことだってある。

どうにもならない会社環境や人間関係もある。

頑張れば必ず報われると思うことは、心の重荷になることもある。

 

「辞める」ことは、「逃げる」ことではない。

「逃げる」ことだと感じることもあるかもしれないが、「逃げる」というのは、ただの動詞にすぎない。

そこに、ネガティブな意味をつけるのか、ポジティブな意味をつけるのかは自分次第。

働くとは、「はた」を「らく」にすること。

さて、こんなにも僕たちを悩ませる「働く」とは、そもそもどんなことなのだろうか?

「働く」の語源は、「はた(傍)」を「らく(楽)」にすること、といわれています。

つまり、そばにいる人を楽にする、ということです。

そばにいる人とは、自分がつくったものを買ってくれる人や使ってくれる人かもしれないし、サービスの対象となる人かもしれない。

同じ会社の仲間かもしれないし、自分の家族かもしれない。

捉え方は色々だけれど、そこに相手がいることが大きな意味をもっていると思う。

働くことは、ときに苦しく、嫌な感情ばかりを生み出すような気になることもある。

でも、働くことは、憎しみ合いではない。

きっと、助け合いなのだ。

結局のところ働きたい。

色々と書いてみたけれど、結局のところ、僕は働きたいのだなと思う。

読み返してみると、働くためにどうするか、という思考が多いことに気付く。

働く意味はよくわからない。

これからわかるのかもしれないし、死ぬまでわからないかもしれない。

でも、まあいいか、と思う。

働きたいという気持ちがあって、怠けることもあって、サボることもあって、頑張ることもある。

できることをやっていくことが大切だと思っている。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます☆

続けるための、色々な作戦。

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