2016/10/09
寛容と不寛容。
[日々の想い]
できる限り「寛容」でありたい、と僕は思っている。
自分とは異なる価値観や考え方も、僕の価値観や考え方と同じくらいの存在感をもってそこにある、と思いたい。
違う、と感じることは当然ある。
ときには、怒りや不安や不満が生じることもある。
でも、自分の価値基準だけで判断して、相手の価値観を客観的な問題と捉えることは避けたい。
問題は客観的に存在しているのではなく、あくまで僕の主観で存在している、と思う。
「寛容」というのは「受け入れる」ことと似ている気がするけれど、自分の価値観や考え方を捨てて、相手の価値観や考え方を受け入れるのではない。
自分の価値観もあり、それとは違う価値観もある、と考えたい。
そういったあり方が、「寛容」ということであると思っている。
同時に、もう一つ考えることがある。
「不寛容」に対しては「不寛容」であって良い、ということだ。
誤解を恐れず、極端に言ってしまえば、殴られたら殴り返して良い、ということになる。
「殴る」というのは、目に見える物理的な「殴る」だけではなく、見えない「殴る」も含んでいる。
ただ単純に「寛容」であるだけでは、うまくいかないことも多いような気がしている。
また、「不寛容」があるからこそ、「寛容」が成り立っているような気もする。
二つで一つ。
表と裏。
どちらにとっても、もう片方が必要である気がする。
最後まで読んで頂きありがとうございます☆
表と裏は入れ替わる。
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