2016/10/27

シェアハウスの一冊『コミュニティデザイン』山崎亮

[ シェアハウスの本たち ]

「コミュニティ」ということばを聞くと、どんなものをイメージするでしょうか?

僕が一人でいたとして、それはコミュニティとは言えなさそうだ。

二人ならどうだろう?

何か同じ目的や共通点をもっていればコミュニティと言えるかもしれないけれど、まださみしい感じもする。

では、五人集まると?

少しコミュニティっぽくなってきたかも。だんだんと人数が増えて発展していきそうな気配も感じられる。

会社とか、部活とか、自治会とか、そんなイメージも湧いてくる。

逆に極端に、日本のみんなとか、地球のみんなをイメージしてみると、どうかな?

同じ目的や共通点を見出すこともできるので、コミュニティと呼べなくはない。

だけど、僕は、頭ではそんなふうに理解できても、気持ち的にはピンとこない。なんだか遠い存在になってしまったようだ。

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こどもの頃を思い出してみる。

僕は秘密基地づくりが大好きで、神社の境内や草むらなどで、ともだちと基地をつくっていた。

少しずつ開拓したり、空間を整えたり。場所をつくると、じゃああいつも呼ぼうか、となって仲間が増えてくる。

仲間が増えていくとある時点で、せっかくの秘密が秘密と感じられないようなタイミングがやってくる。

秘密が秘密じゃなくなるちょっと前あたり。

これが最高に面白い瞬間だった。

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特別な秘密や共通点というのが、僕にとって心地の良いコミュニティのキーワードかもしれない。

裏を返せば、排他性というキーワードも出てきそうだ。

でも、言ってしまえば、おそらくコミュニティと排他性は簡単には切り離せない。

排他性を無くすべきだ、と思う前に、排他性があることを知っておくことが大切だな、とここまで書いてみて感じた。

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さて、ようやく本の紹介です(笑)

「コミュニティデザイン」ということばは、実は1960年頃から使われていましたが、今とは少し意味合いが違っていました。

かつては、当時流行っていたニュータウン建設において、よく登場していました。

ニュータウンには全く接点のない人たちが集まってくるので、良質なつながりができるように、住宅や集会所をどう配置するかを考えるのが、かつてのコミュニティデザインでした。

つまり、物理的な空間をつくることがコミュニティデザインだったわけです。

現在、過疎化によってシャッター街になってしまった商店街や、無目的のために使われない多目的ホール。組織の中で孤立してしまう人や、多数の自殺者。様々な場所で、良質なつながりが壊れつつあります。

このような問題は、物理的な場所があったり、人がそこにいたりするだけで、解決するわけではなさそうです。

そこで、コミュニティデザインの分野でも、場所をつくるにとどまらず、人がつながるしくみをつくっていこう、という機運が高まっています。

この本の著者である山崎亮さん(studio-L代表・東北芸術工科大学教授)は、コミュニティデザインに携わり、地域の課題を地域の人たち自身が解決していけるようなお手伝いを行っています。

まちづくりのワークショップや、住民参加型の課題探しや計画づくりなど、そこに住む人たちに合わせて行った様々なプロジェクトが、この本の中で紹介されています。

まちづくりやデザインの専門家でなくても、地域の課題や、会社や組織のチームづくりに興味をもっている方であれば、とても参考になる一冊ではないかと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます☆