2016/07/27
僕の中のオトナとコドモとオトコとオンナ。
[日々の想い]
「オトナの対応ですね」とか、「オトナの考え方ですね」とか、言われることがたまにある。
相手を傷つけないような配慮のある行動であるとか、自分の欲求を適度に抑えるような思考を、「オトナ」と捉えてくれているのだと思う。
「オトナ」の定義はおいておくとして、そのような一面は僕の中に確かにある。
一方で、「意外とコドモだね」と言われることもある。
相手に合わせつつも、自分のやりたいことしかやらないし、やらないと決めていることはやらない、そんなワガママさを見抜いてくれているのだと思う。
これも確かにその通りで、「コドモ」の僕も、僕の中にいる。
さて、次は流れ的に「オトコ」が出てきそうだなと思われるかもしれないけれど、その通りである。
僕は、自分は「オトコ」らしい人間だ、とは思っていない。
昔から痩せていて、肉体的に劣等感を感じていたし、筋トレをしたりプロテインを飲んだりしてみても、一向に太らず筋肉もつかなかった。
そういうわけで、「オトコ」らしい人を羨ましく思ったりもしていたけれど、最近になって、「その決断力はオトコらしいね」とか、「勇気のある行動だね」とか、言われるようにもなった。
ここでも「オトコ」の定義はおいておくけれど、「オトコ」らしい一面も僕の中にあるようだ。
最後に「オンナ」について考えてみると、これは疑いようもなく、僕の中にあるなと感じる。
「オトコ」らしさがないと感じていた僕は、「オンナ」らしさによって色々な部分を補ってきたのかもしれない。
さて、ここでは、「オトナ」とは何か、「オトコ」とは何かを定義するつもりは全くない。
僕たちの中には、「オトナ」や「コドモ」や「オトコ」や「オンナ」がいて、「オヤ」や「オジイチャン」や「オバアチャン」という一面もあり、それらが補い合い、助け合っているのではないか、ということが書きたかったのだ。
最後まで読んで頂きありがとうございます☆
「センセイ」や「セイト」という部分もあるね。
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